「いい人をやめたいのにやめられない」
「自分を犠牲にしてしまう自分がしんどい」
そんな思いはありませんか。
頼まれると断れない。
本当は疲れているのに「大丈夫」と言ってしまう。
優しさとしてやっているつもりでも、
それが、自分を苦しくさせていることに、
薄々気づいているかもしれません。
今日は、
苦しくなると分かっていながら、
自分を犠牲にしてまで“いい人”をしてしまう。
その背景にある考え方と、抜け出す視点を
体験も交えながら整理してみたいと思います。
席を譲って、気分が悪くなった日
まずは、私が自己犠牲して
しんどくなった体験から。
以前、体調があまり良くない日に、
特急電車に乗っていました。
目の前に高齢の女性が立っていて、
「座っているのは申し訳ない」と感じ、席を譲りました。
その結果、1時間以上立ちっぱなしになり、
気分が悪くなってしまいました。
それでも、いいことをしたつもりでいました。
しんどかったけれど、人のために我慢した。
あのおばあさんが立つより、
私が立つ方が、しんどさはきっと小さいはず。
そういう話として、到着して向かった先で、
人に話しました。
正直、褒めてもらえる、そこまでいかなくても
労ってもらえると思ったのです。
でも、返ってきたのはこんな言葉でした。
「お人好しにもほどがあるでしょ。
その方にも、次の電車を待つとか、各駅に乗るとか、
選択肢はあったんじゃない?」
え?と思いました。
いいことをした話のつもりだったので、
しなくてよかったこととして、
扱われるとは思ってもいませんでした。
でも、確かに、と思ったのです。
その人にも、選択肢はあった
言われてみれば、
あの方にも選択肢はありました。
次の電車を待つ。
各駅停車に乗る。
誰かに声をかける。
事実、私は、
かなり前から並んで乗りました。
そして、かなりの列に、
なっていたのです。
つまり、あの電車に
乗り込むと言うことは、
立つことも致し方なし、
そういう覚悟を持って
乗ることになります。
でも、私が座って、
その方が乗り込んできた時、
私には、その方が
立っているのは、大変だろう、
「なんとかしてあげないと」と
思ったのです。
それに、そんなご高齢の方が立っているのに、
その前で座っていたら、周りから、
ひどい人に見えるように思ったのです。
本来なら、私にも、
「今日は体調が悪いから座っている」
という選択があったのです。
でも、私が体調が悪いことは、
周りからは、分かってもらえないだろうし、
と思っていました。
だから、実際には、
代わるしかないように
感じていたのです。
相手の選択肢も、自分の選択肢も、
どちらも見えていなかった。
人は誰もが、自分で選んでいる。
その視点が、すっぽり抜けていたのだと思います。
そこまでしなくても、よかったのかもしれない
あのとき私がしていたのは、
親切というより、自己犠牲でした。
自分の体調を後回しにして、
相手のために引き受ける。
しんどい思いはしたけど、
ひどい人には、見られない。
しんどいことを引き受ける、
いい人に見られる。
そう感じていました。
でも、あの方にも選択肢があり、
私にも選択肢があった。
そう考えると、
そこまでしなくても、
よかったのかもしれません。
自己犠牲をしやすい人は、
誰かを「可哀想」と感じやすい傾向があります。
その人は自力ではどうにもできない。
私がなんとかしてあげないといけない。
助けなくては。
そう感じやすいのです。
そう感じているとき、
相手が自分で選べる人であることが、
抜け落ちています。
もちろん、助け合いは大切です。
したいからする。
それは自分の選択です。
自己犠牲との違いは、
自分にも選択肢がある状態から
選んでいるかどうか。
「○○しないと」と思ってするのは、
自分で選んでいるようで、
選べていない。
なぜなら、
「そうしないといけない」
「だから、する」
そこに、選択肢はありません。
「しなくてもいい」という選択肢が
あるかどうか。
そこが分かれ目になります。
今の私はどうしているかというと、
状況と体調次第です。
譲るときもあれば、
譲らないときもあります。
その都度、自分で決めます。
それだけですが、
ずいぶん楽になりました。
なぜ、そこまでしてしまうのか
自分を犠牲にしてしまう背景には、
これまでの経験があります。
誰かを助けて、喜ばれた。
役に立って、感謝された。
気を利かせて、いい人だと言われた。
そうやって、人の役に立つことで
関係がうまくいってきた実感があります。
ある意味で、成功体験です。
しかし、反対に、
役に立たないと関係が築けない気がしたり、
自分がしてあげられることをしないのは
悪いこと、ひどいことのように感じやすい。
そして、助けられない自分に罪悪感を感じたり、
助けない自分には、もっと罪悪感を感じる人も
少なくありません。
また、大変なことを誰かにさせるより、
自分が引き受けた方がいいと
感じる傾向もあるかもしれません。
その積み重ねの中で、
基準が少しずつ移っていきます。
自分がどうしたいかよりも、
相手がどう思うか。
周りからどう見えるか。
他人が自分をどう思うかを基準に動く状態を、
このサイトでは「他人軸」と呼んでいます。
(※他人軸とは何かを整理した記事はこちら)
他人軸でいると、
自分が何かを「選んでいる」
という感覚が薄くなります。
したいからするのではなく、
そうしないといけない気がして動く。
自分の選択肢が、
最初からないように感じやすいのです。
そして、自分に選択肢がないと、
目の前の人も、選択肢がない、
なにかを強いられている人に
見えてきます。
可哀想な人。
なんとかしてあげないといけない人。
だから、自分が引き受ける。
自己犠牲して、しんどくなる。
もし今、しんどさが続いているなら
頭では分かっても、
・頼まれると断れない。
・罪悪感が強い。
・気づけば自分を後回しにしている。
そんなことが起こるなら、
これまでの思考のクセかもしれません。
自分にとって、自動で動く、
反射的な考え方になっているからです。
自分軸カウンセリングでは、
なぜ自己犠牲してまで引き受けてしまうのかを
一緒にひもといていきます。
今の反応をつくっている不安や、
これまでの経験も含めて、背景をたどり、
優しさを持ったまま、
自分も大切にする生き方へ。
ここから始めていくことができます。
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