事故やミスなど、
避けたかった出来事が起こったとき。
「あのとき、ああしていれば…」
「あんなことをしなければ…」
そんなふうに、
出来事を何度も思い返してしまうことはありませんか。
自分の行動がきっかけになったと感じると、
「自分のせいだ」と責任を感じてしまうことがあります。
そして、その思いが強くなるほど
罪悪感を抱え続けることになり、
とても苦しくなります。
けれど、出来事を振り返るとき、
私たちはある思考の癖を持っています。
それは
原因を一つにまとめてしまうことです。
この記事では、
・なぜ人は出来事を自分の責任だと感じてしまうのか
・出来事をどう整理していけばよいのか
この二つの視点から考えてみたいと思います。
人は出来事の原因を一つにまとめてしまう
何かが起きたあと、人は原因を探します。
「あのとき何が悪かったのか」
「どこで防げたのか」
そうやって出来事を理解しようとすることは、
とても自然なことです。
ただ、その過程で起こりやすいのが
原因を一つにまとめてしまうことです。
結果が起きたあとに振り返ると、
特定の出来事だけが強く見えてしまい、
「それが原因だった」
「だから自分の責任だ」
と感じやすくなります。
自分が関係していれば
なおさらです。
けれど実際の出来事は、
一つの原因だけで起きていることはほとんどありません。
出来事は多くの条件が重なって起きる
現実の出来事は、
・人の行動
・環境
・偶然
・タイミング
など、さまざまな条件が重なって起きています。
そのため、
一つの要因だけを取り出して
「これがすべての原因だった」
と考えることは、
現実をかなり単純化した見方でもあります。
もちろん、
自分の行動がその出来事の一つの要因だった
ということはあるかもしれません。
けれどそれは、
数ある要因の一つに過ぎないことも多いのです。
責任にはいくつかの種類があります
ここで、もう一つ整理しておきたいことがあります。
それは
責任にはいくつかの種類があるということです。
例えば、大きく分けると次の三つがあります。
| 種類 | 内容 |
|---|---|
| 原因としての関わり | 出来事に関係する行動があった |
| 結果としての責任 | 起きた結果を受け止める必要 |
| すべての責任 | その出来事を一人で背負う感覚 |
多くの場合、人が苦しくなるのは
一つ目の「関わり」を、三つ目の「すべての責任」として背負ってしまうときです。
確かに、あなたの行動が
出来事の一つの要因だった可能性はあるかもしれません。
けれど出来事は、
一人の行動だけで起きているわけではありません。
さまざまな条件が重なって起きています。
だから、
出来事の中に自分の行動が含まれていたとしても、
そのすべてを一人で背負う必要はありません。
ドラマ「35歳の少女」が示していること
のことがとても分かりやすく描かれているのが、
ドラマ「35歳の少女」です。
物語は、10歳の女の子・望美が
自転車事故に遭い、長い間意識不明になるところから始まります。
事故のあと、家族それぞれが
「自分のせいだったのではないか」
と強い罪悪感を抱えることになります。
母親は
おつかいを頼んだことを悔やみます。
父親は
自転車のブレーキを直していなかったことを悔やみます。
妹は
自分が代わりに行かなかったことを悔やみます。
それぞれが
「もし自分が違う行動をしていたら」と
考え続けるのです。
けれど物語が進み、
望美が長い眠りから目覚めたあと、
もう一つの事実が見えてきます。
実は望美自身も、
わざわざ急な坂道の道を選んでいたのです。
通らなくてもいい道でした。
つまり、この事故には
母親
父親
妹
そして望美自身
それぞれの行動が関係していたとも言えます。
けれどそれは同時に、
誰か一人の責任ではない
ということでもあります。
出来事というものは、
このように多くの条件が重なって起きています。
自己否定の人ほど、責任を背負いやすい
ここで一つ、覚えておきたいことがあります。
自己否定の傾向が強い人は、
出来事の中で
「自分の責任」を見つけるのがとても得意です。
それは
・迷惑をかけてはいけない
・人を困らせてはいけない
・そのために、ちゃんとしなければ
という思いが強いからです。
その誠実さは、本来は長所でもあります。
ただ、その誠実さが強すぎると
出来事の中で
自分の関わりによるマイナス影響だけを
大きく見てしまうことがあります。
その結果、
本来は多くの条件で起きている出来事を
「自分の責任」として背負いすぎてしまうのです。
出来事から学ぶことと、自分を責めることは違う
出来事を振り返ること自体は、
決して悪いことではありません。
もし振り返る中で
「次はこうしたい」
「ここは気をつけたい」
と思うことがあれば、
それは大切な気づきです。
ただし、
出来事から学ぶことと、
自分を責め続けることは別のものです。
学びをこれからの行動に活かしていくことができれば、
それだけでその経験には意味があります。
ただし、それは
「何も気にしなくていい」ということではありません。
もし、その出来事で
大変な思いをした人がいるなら、
できることがあれば誠実に向き合うことは大切です。
けれど、罪悪感から動くと
どこかで「償わなければ」という気持ちや
「許してほしい」という思いが混ざることがあります。
そうした重さは、
ときに相手の負担になってしまうこともあります。
だからこそ、
自分を責め続けることではなく、
思いやりからできることを考える。
その人に対して、
してあげたいと思えることをする。
それが、その出来事と向き合う一つの形ではないでしょうか。
まとめ
出来事は
・人の行動
・環境
・偶然
・タイミング
さまざまな条件が重なって起こります。
だから、
一つの出来事だけを取り出して
「すべて自分の責任だ」と考える必要はありません。
もし振り返る中で
改善したいことが見つかったなら、
それをこれからの行動に活かしていけば十分です。
出来事から学ぶことは大切ですが、
そのために自分を責め続ける必要はありません。
出来事をすべて「自分の責任」として背負うのではなく、
起きたことを落ち着いて整理することや
思いやりとして行動していくことが大切です。
出来事の整理は、
一人で考えていると堂々巡りになってしまうこともあります。
誰かと一緒に見ていくことで、見え方が変わることもあります。
そのプロセスを扱っているのが、自分軸カウンセリングです。


