子どもが拗ねるのは、どこか可愛らしく感じるものです。
でも、大人の拗ねは、人間関係をこじらせやすい。
恋愛では「スパイス」として受け取られることもありますが、
多くの場合は、相手を困らせてしまいます。
しかも厄介なのは、
大人の拗ねは自分の意思とは関係なく、
自動的に発動してしまうことが多い点です。
拗ねてしまうたびに、
- 関係がぎくしゃくする
- 自分でも理由がわからず落ち込む
- 「またやってしまった」と自己嫌悪する
そんな経験がある人も多いのではないでしょうか。
大人の拗ねとは
「拗ねる」とは何か。
辞書では次のように定義されています。
不平・不満があって、素直な態度をせず、
ひねくれたような仕方で我を張る
(Oxford Languages)
とあります。
確かに
子どもの頃に拗ねることで要求が通ることがあります。
「拗ねれば関係が動く」という成功体験を重ねてきた人が
大人になっても拗ねることがあります。
これを、この記事で扱う大人の拗ねと区別するために
子供の拗ねと言いましょう。
それに対し
この記事で扱う「大人の拗ね」とは
次のような背景から生まれたものです。
迷惑をかけてはいけない
役に立たなくてはいけない
自分の望みを言っても、どうせ聞いてもらえない
そんな環境の中で育つと
「自分の望みを言ってはいけない」
「せめて察してほしい」
という思いを抱くようになります。
しかし、その思いは十分に受け取ってもらえず、
満たされない体験や、
わかってもらえなかった経験を重ねていきます。
その結果、
「私は愛されない存在なのではないか」
という自己イメージを抱えたまま
人と関わっている中で発動するのが大人の拗ねです。
「してくれない」=「愛されていない」と受け取ってしまう思考
大人の拗ねが発動しやすい人に多いのが、
・してくれない
・気づいてくれない
・察してくれない
これらをすべて
「愛されていない証拠」として
受け取ってしまう思考です。
子どもの頃、
「してもらえる=大切にされている」
と感じるのは、とても自然なことです。
ただ、幼い頃に
十分にしてもらえなかった経験があると、
「私は大切にされない存在なのではないか」
「愛されていないのではないか」
という思いが心に残ります。
そのため大人になってからも、
愛されているか、大切に思われているかを、
相手の行動一つひとつで
確かめようとするようになります。
本人の中では、
愛しているなら、こうするはず
しないということは、愛がない
という形で、結論が一気に飛躍してしまう。
その結果、
「愛されていない」という感覚を
何度も味わうことになり、
大人の拗ねが生まれます。
本音は、自分の望みや気持ちを
「察して、わかってほしい」
なのですが
それを言葉にすることができず、
(拒否されたり、否定されることが怖いため)
せめて、相手にも同じように
悲しい思いや嫌な思いをしてもらうことで、
自分の気持ちをわかってもらおうとします。
これが、拒絶となり、相手を遠ざけ、
関係を悪化させる方向になってしまいます。
つまりこれは、
「愛されているかどうか」を
「何をしてもらえたか」で判断している状態。
自分の価値を
他人の行動に委ねている――
他人軸の反応です。
他人軸と自分軸の違いについては、
こちらの記事で、日常の感覚から整理しています。
拗ねが出たときの整理の視点
拗ねている最中に止めるのは、正直かなり難しいです。
まずは「後から振り返る」で十分です。
- 何を期待していたのか
- 何が満たされなかったと感じたのか
- 本当に欲しかったのは何だったのか
多くの場合、
欲しかったのは「安心感」や「大切にされている感覚」です。
それを
「ない」と決めつけた瞬間に、
拗ねは強くなります。
愛されたいと願う相手に対して
発動しやすいのが特徴です。
少し落ち着いたら、
「あの時、愛されていないように感じたのかもしれない」
と、自分の受け取り方として振り返ってみる。
そんな見方ができると、
相手の意図や事情にも
目が向きやすくなります。
まとめ|拗ねは「直す」ものではない
拗ねは、性格の問題ではありません。
不安と愛着のサインです。
拗ねてしまう自分を
責める必要はありません。
その反応は、
これまでの関係の中で身につけたものです。
「やめなきゃ」と抑えるより、
どうして出てくるのかを理解することが大切です。
また、頭では理解しても
反射的に、拗ねてしまうことも往々にしてあるものです。
自分軸カウンセリングでは、
大人の拗ねが発動してしまう背景を、
思考と感情の両面から整理していきます。
拗ねをやめたいと感じ始めるのは、
これまでのやり方が、少し苦しくなってきた、
というサインなのかもしれません。
あなたのタイミングで、検討してみてくださいね。


